正義
15日に行われた渋谷恭正被告(47)の裁判員裁判で、千葉地裁の野原俊郎裁判長が代読したレェ・ティ・ニャット・リンさん=当時(9)、ベトナム国籍=の母、グエン・ティ・グエンさん(31)の意見陳述書の全文は次の通り。
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私は、グエン・ティ・グエンです。殺害されたレェ・ティ・ニャット・リンの母です。
私がリンを出産したとき、リンの父親は、日本で暮らし、日本で仕事をしており、私たち夫婦は、日本に対する愛から、授かった娘に「ニャット・リン」(ニャットは日本・太陽を、リンは輝きを意味します)と名付けました。
日本に対する愛と日本の人々に対する親愛の気持ちから、私は、リンが3歳になろうとした頃、リンを日本に連れてきました。
私たち家族は、日本での美しい未来を夢見ていましたが、今日、こうして裁判で、私の娘の痛ましい死について話さなければならない日が来るとは、よもや思ってもいませんでした。
私は、この愛する日本で、娘が9歳で人生を終えなければならなくなるとは思いもしませんでした。
私の娘リンは、素直で優しく、誰のことでも良い人だと思える子供でした。
娘は日本をとても愛し、日本で暮らせることを誇りに思い、いつも日本について話していました。
娘はよく、ベトナムにいる祖父母や親類に、「日本人は私にとても良くしてくれてみんな私をかわいがってくれるの」と話していました。
娘は、まだ幼いながらにもベトナム語と日本語の2カ国語を頑張って勉強し、将来2カ国の懸け橋になりたいと夢見ていました。
それなのに、娘の夢、信念、日本や日本人への愛は、小児性愛者の殺人者によって無残にも打ち砕かれてしまいました。
犯人は無慈悲に全てを奪いました。犯人は、下劣な情欲だけのために、私の娘の命と将来を奪ったのです。
皆様、考えてみてください。一人の人懐っこい子供が、ある日突然、誘拐され暴行され、さらには凌辱された上に、残忍な殺され方をする。
それは、あまりにも残酷で不公平なことだと思いませんか?
犯人は、私の娘を痛めつけ、いかなる物でも癒やすことができない精神的苦痛を私の家族に与えました。
娘を失った苦しみは、寝ているときでも私を離れることはありません。
私は、娘の遺体を引き取ったときの感覚を死ぬまで忘れることはないでしょう。
殴られて腫れ上がりあざができた娘の顔、棺の中で横になり瞑(つむ)られた娘の目、娘の冷たい手を握った私の心は、千もの針で突き刺されたようでした。
私は泣くことも叫ぶこともできませんでした。
私の娘のような弱くて抵抗する力もない一人の子供が残虐に扱われ、あのような野蛮な殺され方をするなんて想像もできません。
きっと娘も最期に目を閉じたときに、どうして自分がこのような残酷な扱いをされなければならないのか理解できなかったでしょう。
私の娘に何か罪がありますか?
どうして私の娘にあのような残酷なことをしたのですか?
どうして私の娘に生きる道を残してくれなかったのですか?
どうして私の娘を殴り殺して、洋服一枚も着せずに、あのように冷たい雨風の中に、私の娘の遺体を捨て去ったのですか?
きっと娘は最も痛みを感じた絶望の中で、私を呼びみんなに助けを求めたことでしょう。でも、誰もそれを知ることはなく、娘を助けてあげることができませんでした。
私は眠りにつく度に、助けを求めて叫ぶ娘の声で目が覚めます。
この痛みを言い表せる言葉はありません。
同じ痛みは、4歳になる私の息子の心にも深い影を落としています。
息子はいつも私に訊きます。夕方になると、帰ってくるはずもない姉を待って、玄関のドアを開けては…「お姉ちゃんは、いつになったら学校から帰ってくるの?」と。
犯人は、リンを殺害したことで私の家族に痛みを与えたばかりでなく、このような卑劣な事件で数百万もの人々に涙を流させ怒らせました。
犯人は、世界の人々に対して日本と日本人のイメージを悪くしました。
リンを殺害した者の死刑を求める、ベトナムや日本、世界各国に住む100万以上の人々の署名が集まりました。
世界の人々を悲しませ怒らせたのは、リンを殺害した犯人なのです。
犯人の犯罪は決して許されるものではありません。
私は、千葉地方裁判所に対し、私の娘を殺害した犯人に極刑である、死刑の判決を下すようお願いします。
小児性愛と児童殺害は卑劣で汚い犯罪であり、いかなる国家でも許されません。
たとえ犯人が数千回死んだとしても私の娘が蘇ることはありません。
しかし、他の子供に対する犯罪を阻止し、犯罪をたくらむ者への戒めとして、犯人は死刑に処されるべきです。
私の娘に公平を取り戻し、小児性愛の殺人者である犯人を人間社会から永久に排除するために、裁判所と裁判員におかれましては、公平かつ厳格な刑罰をしてくださいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
私と家族は、皆様の正義を信じています。
ありがとうございます。
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署名活動は知らなっかった。
死刑廃止論者や現実と歴史に疎い平和主義者は一読し、
所詮他人事の認識は、改めること。